マンドリン関係の書籍 

 

   

ほとんどのマンドリニストが感じておられることと思いますが、マンドリン関係の書籍は本当に数が少なく、これほど日本各地に社会人や学生のマンドリンサークルがあって盛んに演奏活動が行われていますのに、この現象をどう捉えればよいのでしょう。

 

ここで言う書籍とは邦書を対象とし、機関誌、記念誌、オリジナル曲集の類も含みますが、教則本やポピュラー合奏曲集等は除くものとします。

筆者がマンドリン関係の書籍に関しまして全てのことを知っているわけではありませんので、本稿の記述に抜けている点がありましたらどうかご容赦いただきたいと思います。

 

故人の生没年をはじめとしてネット情報には誤りも多く見受けられます。

極力正確な情報に従うよう留意致しましたが、以下の記述に誤りや漏れ、その他お気づきの点がございましたら、ご指摘いただければ誠に有難く存じます。

 

文中敬称は省略させていただきました。

 

[目 次]

1 マンドリン事始め

2 日本最初のマンドリン出版物 

2.1  マンドリン教科書

2.2  マンドリン独習 

3 マンドリンに関する歴史的著作

3.1  マンドリン・ギター及其オーケストラ

3.2  マンドリン・ギター片影 

4 主なマンドリン研究誌・機関誌等の歴史

4.1  マンドリンとギター

4.2  アルモニア

4.3  FRETS 

4.4  JMUジャーナル

4.5  奏でる!マンドリン

5 主な学生マンドリンクラブの部史・記念誌

6 マンドリン関係の譜庫

7 マンドリン曲集

7.1  マンドリン・ギタア曲集

7.2  マンドリン曲集

7.3  マンドリン・オーケストラによる日本の旋律

7.4  中野二郎編マンドリン曲集

7.5  カラーチェマンドリンアルバム

7.6  服部正名作集

7.7  ときめきのマンドリン

8 マンドリンの参考書・書籍

8.1  マンドリン奏法

8.2  すぐに役に立つマンドリン・ギター合奏のコツ

8.3  マンドリン・テキスト

8.4  マンドリン・オーケストラのすべて

8.5 評伝 古賀政男

8.6  比留間賢八の生涯

8.7 鈴木静一 そのマンドリン音楽と生涯

8.8 マンドリン事典

8.9 たぬきの独り言

8.10  マンドリン物語

 

***

 

1 マンドリン事始め

 

記録によりますと、日本人で初めてマンドリンを一般に公開しましたのは、四竈訥治(しかまとつじ、18541928)で、1894明治27)秋にマンドリン等の音楽会が催されたようです。

 

山田忠男著「随想風音楽論」(昭和56年、音楽之友社)に次のように記されています。

 「最初のハープ演奏記録を私の手許にある文献で見ると、明治二十七年(1894)秋のこと。

         

その夏に日清戦争が始まったので、題して義勇奉公報国音楽会、勿論その頃だから プログラムは吹奏楽や唱歌などだが、その中に仙花楽というのがあり、メンダリン(マンドリンのこと)、バイオリン、ハープで三人の女性が八千代獅子(長唄の抜粋だろう)を奏したとある。

 

これはマンドリンにとっても、わが国で始めての記録。四竈訥治という、取調所出の先覚者で明治十八年に唱歌会という私設音楽学校を開いたり、二十三年からは音楽雑誌を発行して啓蒙を続けた方の企画で、全国の家庭に流行していた月琴や明笛の明清楽が、戦争のために演奏されなくなったのに代って、仙花楽と名づけたものらしい。」

 

 取調所とは、明治政府が1879(明治12)に開設した音楽取調掛(一時取調所と呼称、のちの東京芸大)のことと思われます。

一般の日本人が音楽会でマンドリンによって初めて耳にした曲は「八千代獅子」だったようです。

 

一説には四竈氏以前に、仙台の宮城女学校(現宮城学院)の外国人宣教師がすでにマンドリンをもたらしていたとも伝えられています。

 

四竈訥治は江戸時代の生まれで明治を代表する近代邦楽の作詞・作曲家であったようです。

 

 氏の6女、四竈清子(19031965)が大正末期頃ニッポノホン(のちの日本コロムビア)に吹き込んだレコードを国会図書館デジタルコレクション(ここ)で聴くことができます。

 おそらくネットで聴ける最古の日本人のマンドリン演奏ではないでしょうか。

           四竈清子              

四竈訥治同様、江戸生まれの比留間賢八(18671936)は、二度目の洋行となる農商務省の海外実業練習(織物の研究とされ

ます)先のドイツ、ベルリンより1901(明治34)帰国の際にマンドリンを持ち帰っています。

 鈴木ヴァイオリンで知られる鈴木政吉(18591944)は、1903(明治36) 比留間賢八の持ち帰ったマンドリンを見

本に初の国産、鈴木マンドリンを製作、共益商社(現在のヤ 

     比留間賢八   マハ銀座店)から売り出されました。

 

下の写真:左は明治34年比留間賢八が持ち帰ったマンドリン、中央は明治36年初の国産マンドリン(共に飯島國男著「比留間賢八の生涯」より)、右は共益商社楽器店発行の当時の鈴木マンドリンの宣伝絵葉書です。

 

 

2 日本最初のマンドリン出版物 

 

2.1  マンドリン教科書

 

比留間賢八は1903(明治36)共益商社より「マンドリン教科書(独習用)」を出版、これが本邦初のマンドリン出版物となりました。

 

1903(明治36)112日発行

 比留間賢八著

 21

 印刷所:近藤商店

 発行所:共益商社楽器店

 定価:40

 

―目次―

・音名、譜表、短線及び音部記号

・音符、休止符及び附点音符

・変化記号

・音階

・拍子

・マンドリン構造図

 ・調絃法

・楽器奏法の姿勢及び龜甲使用法

・開放絃及び練習

・長短半音階の練習

・左右両手の練習

・顫音(トレモロ)の奏法及び練習

 

比留間氏はこの本の緒元で、「マンドリンは音楽の最も隆盛を極むる以太利国を始とし現今欧米各邦に於てピアノ並にヴァオリン等の楽器と共に公開及び家庭の音楽会用として盛んに行われつゝあるものなり。而(しか)して編者はこの器の演奏法の大に我邦の習慣に近きを認めたるを以て先年欧州在留の頃特に以(もって)国に遊び研究の結果一昨年始めてこの器を我邦に伝えたり。然れとも(されども)伝来の日尚浅くして世人或はこの器の形状をすら知らざるものあるは篇者の頗(すこぶ)る遺憾とする所なり。依て爰に(よってここに)本書を編して其構造及使用法の大要を説き以て我楽界にこの至便なる一新楽器を紹介すと云爾(うんじ)。」と述べています。(文中のカッコ内は筆者記)

 

この著書は、著者没後50年以上を経て著作権の保護期間が満了しているため国会図書館デジタルコレクション(ここ)で全文を読むことができます。

 

2.2  マンドリン独習

 

また比留間賢八は1910(明治43)同じく共益商社より「マンドリン独習」を出版しています。

 

1910(明治43)62日発行

比留間賢八著

54

印刷所:耕進舎

発行所:共益商社楽器店

定価:130

 

―目次―

第一教課:譜表 線上の音名 線間の音名

第二教課:音部記号 小節及び拍子記号 短線即ち加線

第三教課:楽器要部の名称 開放絃 絃の名称 絃の調律法

第四教課:奏者の姿勢 龜甲 手頸 指の使用法 打ち奏法 掬い奏法 

  右手の位置 楽器を持った左手の位置

第五教課:勘所 イ絃即ち第二絃上の各音符

第六教課:ニ絃即ち第三絃上の各音符 ト絃即ち第四絃上の各音符

第七教課:ホ絃即ち第一絃上の各音符

第八教課:調号 拍子の数え方

第九教課:ト長調音階 第一練習 第二練習 第一歌曲(埴生の宿)

第十教課:音程 省略符 第三度音程の練習 第三練習

第十一教課:臨時記号 第二歌曲(記念)

第十二教課:音階の構成 ハ長調音階 ハ長調音階に於ける第四指の伸長 

  第四練習

第十三教課:拍子記号 附点音符及び休止符

第十四教課:第三歌曲(衛兵)

第十五教課:顫動音の予習 第五練習 第六練習

第十六教課:顫動音 第七練習

第十七教課:第四歌曲(河流の小波)

第十八教課:第五歌曲(岸の桜)

第十九教課:第六歌曲(蛍の光)

第廿教課:第八練習 第七歌曲(庭の千草)

第廿一教課:三連音

第廿二教課:三連音の拍子の数え方 第九練習

第廿三教課:第八歌曲(追憶)

第廿四教課:左手指の運用練習 第十練習

第廿五教課:第九歌曲(告別)

 

第十五、十六教課の顫(せん)動音とはトレモロを指しています。

 

氏はこの本の緒元で、「マンドリンは現今欧米各国に於て特種の音楽器として公開乃至家庭音楽会用として盛に流行しつゝあるものなり。而(しか)して編者は本器の弾奏法及び取扱上大に我邦の習慣に適切なるを認め先年欧州在留の頃斯道(しどう)の大家以太利人アチルレ・コルナチ先生に就き研究の結果始めて本器を我国に伝えたり。然れとも(されども)伝来の日尚浅く世人或は本器の形状をすら知らざるものあるは頗(すこぶ)る遺憾とするところなり。依りて爰に(よりてここに)本書を編し其()の形状及び弾奏法の大要を説き以って我楽界に此至便なる一新楽器を紹介せんとす」と述べています。

 

この著書も図書館デジタルコレクション(ここ)で全文を読むことができます。

 

比留間賢八の長女、比留間きぬ子(19152002)1914(大正3)ニッポノホンに本邦初のレコード吹き込み、1927(昭和2)ラジオのJOAK(NHK)でマンドリン独奏を放送、1939年にはテレビ本放送開始前のNHK技研による公開実験にてマンドリン独奏での我が国初のテレビ出演を果たしています。

 

 

  比留間きぬ子

 

3 マンドリンに関する歴史的著作

 

日本における近代西洋音楽教育の祖は伊沢修二(18511917)であり、日本のマンドリン音楽の祖は武井守成(18901949)であると言って異論はないだろうと思います。

 

武井守成は日本マンドリン界の父と称されます。

宮内省楽部長・式部官長であり、1915(大正4)社会人による日本初のマンドリン合奏団「シンフォニア・マンドリニオルケストラ」(のちに「オルケストラ・シンフォニカタケヰ」と

  武井守成   改称)を創設した武井守成男爵は、歴史的著作「マドリン・

         ギター及其オーケストラ」および「マンドリン・ギター片影」を遺しています。

 

この楽団を今に引き継ぐオルケストラ・シンフォニカ・東京は20095月小冊子「オルケストラ シンフォニカ 東京 50年史」(8)を発行しています。

 

3.1  マンドリン・ギター及其オーケストラ

 

1924(大正13)1128日発行

武井守成著

529

印刷所:明文社

発行所:オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ

発売元:日本楽器製造株式会社東京支店

定価:450

 

―目次―

・巻頭辞

・ギター及マンドリンの楽器としての史的考察 -武井守成-

・ギター音楽小史 -武井守成-

・マンドリン音楽小史 -武井守成

・ギター研究(習得法) -武井守成-

・マンドリン・オーケストラ研究 -武井守成-

・マンドリンギター両系の楽器を含む小合奏 -武井守成-

・マンドリニストへの十二講 -菅原明朗-

・コンコルソ略解 -武井守成-

・本邦斯界過去現在

・付録、オルケストラ・シンフォニカ・タケイ十年回顧

 

武井氏は巻頭辞の冒頭、「マンドリンギター音楽に関する著書は、之を世界に求むるも殆ど無いと云ってよい。唯僅に英国のフィリップ・ボーン氏が著わした「大家伝」、米国のサミユエル・アデルスタイン氏が著わした「マンドリン記録」、同じく米国のフォレスト・オデル氏が著わした「マンドリンオーケストラ」等が公にされて居るが而(しか)もボーン氏のそれを除いては大なる参考資料と成らないのである。」と述べています。

 

フィリップ・ボーンが著わした「大家伝」とは1914年初版発行のPhilip Bone(18731964)の大著“The Guitar and MandolinBiographies of Celebrated Players and Composersと思われます。

この大著はここで全文読むことができます。

このボーンの著書は邦訳出版の計画がありましたが、原稿は完成するも出版社解散のため残念ながら計画中絶に至った経緯があります。

 

武井氏のこの著書はここで全文読むことができます。

 

この書の中に武井氏が比留間氏を評した興味深い一節があります。

「比留間氏は其後教則本を著わしたり稀に演奏会にも現われたが元来氏の使命はマンドリン教授にあるので其後目覚ましい発展をされなかった事は何等不思議でない。氏の齎(もたら)された奏法が今日の用として不適当であり又氏の滞欧中の見学研究が彼地斯界の核心に触れなかった恨みありとするも尚氏が本邦斯界の先覚者たる名誉は史上を飾るものである。」

 

 比留間氏は武井氏のギターの師であり、さらにまたこの書がまだ比留間氏存命中に出版されたことを考えるとき、率直な感想とは言えよくここまで書いたものという印象も受けます。

 

3.2  マンドリン・ギター片影

 

1925(大正14)111日発行

武井守成著

495

印刷所:明文社

発行所:オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ

発売元:日本楽器製造株式会社東京支店

定価:350

 

 

―目次―

・巻頭辞

・ジュゼッペ・ペッティネ

・サミュエル・アデルスタイン

・ワ゛ァーダー・オルコット・ビックフォード

・ウィリアム・プレース

・ジョージ・シー・クリック

・サルヴァトーレ・ファルボ・ジャングレコ

・ジョワ゛ンニ・ムルトゥーラ

・マイロン・エー・ビックフォード

・ウィリアム・フォーデン

・カルロ・ムニエル(武井守成注)

・菅原明朗

・小西誠一

・武井守成

 

巻頭辞に、「此書は斯界(しかい)の緒家の筆に成れる感想印象記、講話、研究談、紀行文等の抜粋である。」と記されています。

 

 

この著書もここで全文読むことができます。

 

4 主なマンドリン研究誌・機関誌等の歴史

 

4.1  マンドリンとギター

 

武井守成は1916(大正5)研究誌「マンドリンとギター」(1923年まで月刊で80)1924(大正13)には後継誌「マンドリン・ギター研究」(1941年まで月刊で213)を発刊しています。

 

実はあまり知られていませんがその後1942~1943年(昭和17~18年)武井守成によって「マンドリンとギター資料」という毎号数ページの資料が発刊されています。この資料(全12号)はアメリカのサイト(ここ)で読むことができます。戦局厳しい折紙不足から惜しくもわずか2年で廃刊となってしまいました。

 

4.2  アルモニア

 

1927年(昭和2年)仙台の澤口忠左右衛門(1902-1946)が「アルモニア」を創刊、1941年(昭和16年)まで隔月刊で90号を数えましたが戦時下で休刊、その後シュヴァイツァーと共にアフリカで医療奉仕に尽力したことでも知られる高橋功(1907-2003)によって1954年(昭和29年)復刊、1960年(昭和35年)まで隔月刊で36まで発行されました。

 

4.3  FRETS

 

日本マンドリン連盟(JMU)を創設し長く会長であった伊東尚生(19061998)は、主宰する岐阜マンドリンオーケストラの機関誌として1958年(昭和33年)「FRETS」を創刊、季刊発行されました。

 

最終号となった第145(1992年、実際には1997年発行)の編集後記に「本誌は昭和33年より発行し、今日に至っています。年4回の予定の筈ですが、忙しい仕事(例えば旅行記編集)が度々あって、大幅に発行がおくれています。編集は小生独りで、協力者がないからです。今では雑誌とは言えません。現在の皆様に何の役にもたっていない事が大変気になります。現在では発行期間の日本マンドリン関係事項を書き留める、所謂記録誌のつもりで、又励ましの言葉にお答えするためにも、多大の経済的負担にも耐えて、高年令(92)をも顧みず続刊しています。小生無きあと、日本のマンドリン研究家のために役立てば幸いと思っています。(1997)」とあります。

 

35年続いたFRETSでしたが、惜しくもこれが最終号となってしまいました。

 

4.4  JMUジャーナル

 

1968年、田中常彦(18911975)を初代会長とする日本マンドリン連盟JMUが発足、翌年に機関誌が創刊されました。機関誌は20026月発行の177号よりJMUジャーナルと命名、隔月発行で2019年1月現在276号を数えています。最近号の目次はここで見ることができます。なお19942月に創立25周年記念誌(52)が発行されています。

 

4.5  奏でる!マンドリン

 

20076月ダイヤモンド音楽出版より吉田剛士監修によるリコーダー、マンドリン、アコーディオン合同の季刊誌「奏でる!」創刊、200812月からはマンドリンのみの季刊誌「奏でる!マンドリン」として再創刊、第3号からは本誌に連動したCD付きセットも出ています。2018年12月現在44冊、掲載スコアは総計217曲になっています。